東京片貝会の歩み |
「創立三十周年記念 東京片貝会のあゆみ(平成元年七月)」より
大正13年10月に母校の同窓会が設立された。これに呼応して、東京では山口乕八郎、石上直治、広井三代次、渡辺左武郎らが中心となって東京支部を結成した。みなは二十歳を越えたばかりの若い人たちであった。設立は昭和3年か4年の始め頃である。
毎年お盆と正月休みに会合を開き、互いに親睦をはかっていたが、、当時の会費は五十銭とか一円くらいだった、会場は日本橋の菊屋倶楽部で、出席者は大抵二、三十名くらいであったが、多い時は七十名も参加者があった。このときの写真が今でも相崎勇次の許にある。
その後、昭和六、七年頃高桑益太郎が中心になって、東京片貝会旗を新調したりして、会の充実に努めたが、まもなく内部の意思統一が不十分のため、会の運動も次第に低調となり、活動も停止することとなってしまった。このときの会旗は、すでに損耗してしまったが、棹のみが今も残っている。
なお、会の創設に力のあった山口乕八郎は、昭和20年3月9日の東京大空襲の際に被災されて、惜しくも早逝された。
戦後軍人であった松井卯吉が復員して、東京に居住し、都内の片貝出身者を足で調べあげ、名簿を作った。これが会として最初に作られた名簿である。そして、昭和34年にはじめて第1回の総会を開き、以後はひき続き今日にいたっている。その後の活動の概要は、次頁の表の通りである。詳しくは、会報によってお知りいただきたい。
会の草創時代の事は、安達竜作、広井三代次、渡辺左武郎、相崎勇次の提供によった。記して感謝の意を表したい。(佐藤量八記)
年号 |
西暦 |
総会 |
新年会 |
会の動き | 母校を励ます会 |
大正13年 | 1924 | 10月母校同窓会設立。 | |||
昭和3,4年 | 1928 | 同窓会東京支部結成(山口乕八郎氏、石上直治氏、広井三代次氏、渡辺左武郎氏ら) | |||
昭和4年 | 1929 | 同窓会に協力し母校に校旗寄贈 | |||
昭和6,7年 | 1931 | 東京片貝会旗を新調(高桑益太郎氏ら) | |||
昭和20年 | 1945 | 山口乕八郎氏、東京大空襲で早逝 | |||
昭和34年 | 1959 | 8月名簿作成(松井卯吉氏調整、安達竜作氏印刷、頒価百円) | |||
昭和35年 | 1960 | 第1回 池袋温泉 | 会長安達竜作氏 | ||
昭和36年 | 1961 | 第2回 池袋温泉 | |||
昭和37年 | 1962 | 第3回 目黒みやこ温泉(5/13)\700 | 韻松亭(上野)(2/8) | 松井卯吉氏逝去71歳 | |
昭和38年 | 1963 | 第4回 みやこ温泉(5/19)110名\800 | 「会報」創刊 有志旅行(青巒荘9/14)45名 片貝小学校創立90周年 |
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昭和39年 | 1964 | 第5回 みやこ温泉(5/17)131名\1,000 | 升本(1/19) | 有志旅行(青巒荘10/3) 4月名簿発行、会則作成 |
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昭和40年 | 1965 | 第6回 みやこ温泉(5/16)106名 | 筆塚茸狩り(10/) 役員改選 |
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昭和41年 | 1966 | 第7回 みやこ温泉(5/8)75名 | 升本(1/23)22名 | 湯河原椿祭り(3/25)19名 懇親旅行(青巒荘12/4) 幹事長吉原三郎氏逝去 |
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昭和42年 | 1967 | 第8回 吉池(5/21)99名\1,200 | 升本(1/22)28名\1,300 | 椿祭り(青巒荘3/5)28名 片貝中20周年(小林啓司幹事長) |
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昭和43年 | 1968 | 第9回 吉池(6/9)161名\1,200 みこじさ初出演 |
升本(1/14)30名 | 仲使山休憩所「松風亭」寄贈 | |
昭和44年 | 1969 | 第10回 須賀神社(6/8)101名\1,000 | 吉池(1/26)50名 | 石上直治氏逝去63歳 | |
昭和45年 | 1970 | 第11回 須賀神社(10/4)113名\1,000 | 吉池(1/19) | 椿祭り(青巒荘3/27) 会費\200→\300 |
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昭和46年 | 1971 | 第12回 須賀神社(6/13)116名 みこじさ出演 |
吉池(1/17) | 椿祭り(青巒荘3/18) 役員改選 |
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昭和47年 | 1972 | 第13回 須賀神社(6/11)\1,500 浅田荘太郎先生講演 |
吉池(1/30) | 教育感謝祭(第1回)8/14 | |
昭和48年 | 1973 | 第14回 須賀神社(6/10)93名\1,300 | 吉池(1/28)62名 | 片貝小創立100周年10/10(安達会長) | |
昭和49年 | 1974 | 第15回 須賀神社(6/8)101名\1,000 武見太郎先生講演 | 安達会長辞任 | ||
昭和50年 | 1975 | 第16回 増上寺(6/22)213名\2,000
南極探検スライド(佐藤和秀氏) |
丸山家(1/18)有志13名 | 佐藤量八氏、会長就任 教育感謝祭(佐藤会長) 会費→\500 |
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昭和51年 | 1976 | 第17回 文京区民センター(6/6)225名\2,500 | 増上寺(1/25)104名 | 教育感謝祭(三重掘副会長) 年次別名簿発行 片貝中創立30周年式典(佐藤会長) |
第1回ヤングの会 「赤坂小学校」 |
昭和52年 | 1977 | 第18回 文京区民センター(6/5)203名\2,500 | 増上寺(1/30) | 教育感謝祭(相崎善副会長) 役員改選、会費→\700 |
第2回ヤングの会 「赤坂小学校」 |
昭和53年 | 1978 | 第19回 増上寺(7/7)135名\3,000 | 増上寺(1/29)119名 | 浅原神社改修祝賀会(佐藤会長) | 年次代表会(10/29)高齢福祉会館11名 |
昭和54年 | 1979 | 第20回 平和島温泉(6/3)203名\3,000 二十周年記念式典 |
日本女子会館(1/15)103名\3,000 | 会旗・太鼓新調。 片貝町へ桜の苗木、小中学校へ図書、ふるさと会館へ布団寄贈 東京小千谷会に佐藤会長出席 新潟県人会納涼の夕(4名) 秋祭り相撲大会に協賛 20周年記念事業寄付113万余円(12月決算) |
第3回ヤングの会 「万葉会館」22名 |
昭和55年 | 1980 | 第21回 平和島温泉(6/15)121名\3,500 | 増上寺(1/27)83名\3,000 | 役員改選、会費→\800 青巒荘(4/20)32名 東京小千谷会(佐藤会長) 新潟県人会(佐藤会長、黒崎勝氏) |
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昭和56年 | 1981 | 第22回 平和島温泉(6/7)87名\4,000 | アサヒビールホール(1/25)92名\3,000 | 青巒荘(4/12)30名 青年部打ち合せ(藤塚悟氏宅) 新潟県人会納涼の夕(4名) 青年部副部長浅田好司氏逝去 |
ふるさと学校(8/16〜19)児童11名 |
昭和57年 | 1982 | 第23回 アサヒビールホール(6/20)87名\3,000 | 増上寺(1/31)85名\3,000 | ふるさとを語る座談会(2/8)新潟日報主催 青巒荘(4/11)33名 片貝小運動会(相崎副会長) |
母校を励ます会 第1回講演会(11/8)安達生恒氏 ふるさと学校(8/17〜20)児童8名 |
昭和58年 | 1983 | 第24回 新潟県人会館(5/29)89名\3,500 | 増上寺(1/30)108名\3,000 新潟テレビ取材 | 新潟県人会納涼の夕(4名) 片貝小創立110周年(20万円寄付) 青巒荘(4/17)24名 |
第2回講演会(11/22)永井正雄氏 |
昭和59年 | 1984 | 第25回 新潟県人会館(5/27)102名\4,000 | 須賀神社(1/29)76名\3,200 | 武見太郎先生葬儀12/19逝去 青巒荘(4/15)19名 勝又功氏4代会長就任 |
第3回講演会(11/17)佐藤祐一氏 |
昭和60年 | 1985 | 第26回 新潟県人会館(5/26)92名\4,000 | 新潟県人会館(1/27)91名\4,000 | 青巒荘(4/14)22名 新潟県人会納涼の夕(4名) 高野三郎氏逝去93歳、安達竜作氏逝去80歳 会費→\1,000 |
第4回講演会(11/1)小野勇氏 |
昭和61年 | 1986 | 第27回 新潟県人会館(5/25)75名\4,400 | 新潟県人会館(1/25)75名\4,000 | 青巒荘(4/13)21名 教育感謝祭(勝又会長) |
第5回講演会(10/13)川上昭吾氏 |
昭和62年 | 1987 | 第28回 新潟県人会館(5/24)62名\5,000 | 新潟県人会館(1/25)68名\4,000 | 広井三代次氏逝去78歳 青巒荘(4/12)29名 片貝中40周年(10万円寄付) |
第6回講演会(10/28)大矢三郎氏 |
昭和63年 | 1988 | 第29回 新潟県人会館(5/29)67名\5,000 | 新潟県人会館(1/31)74名\5,000 | 新名簿発行 青巒荘(4/10)17名 丸山貴司氏逝去86歳 |
第7回講演会(10/3)小野塚国春氏 |
平成元年 | 1989 | 第30回 八芳園(7/9)139名\8,000 | 新潟県人会館(1/22)56名\5,000 | 青巒荘(4/9)18名 30周年記念「東京片貝会のあゆみ」発刊 |
第8回講演会(11/10)黒ア 正氏 |