講演会の記録

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母校を励ます会教育講演会の全記録です。ご覧になりたい回をクリックください。

第40回 2022年 芝 至 第39回 2021年 吉原忠彦 第38回 2020年 郷 貴大 第37回 2019年 安達ロベルト
第36回 2018年 砂山和之 第35回 2017年 相崎裕恒 第34回 2016年 Mrs.Naoko Degen 第33回 2015年 安達 篤
第32回 2014年 山田ふく子 第31回 2013年 小川千春 第30回 2012年 安達警部補 第29回 2011年 相崎 勇
第28回 2010年 藤塚伸雄  第27回 2009年 高野昭人  第26回 2008年 太刀川正美  第25回 2007年 安達 靖 
  第24回 2006年 宮入祐子   第23回 2005年 内藤冨美子 第22回 2004年 山口正彦  第21回 2003年 安達雪枝   
  第20回 2002年 吉井新平    第19回 2001年 山口早苗    第18回 2000年 芝 強    第17回 1999年 佐藤篤司  
  第16回 1997年 安達弘之   第15回 1996年 木下 伸    第14回 1995年 大塚浩一    第13回 1994年 太刀川信一   
  第12回 1993年 浅田雄司    第11回 1992年 佐藤量八    第10回 1991年 松岡規子    第 9回 1990年 黒崎敬五郎   
  第 8回 1989年 黒崎 正    第 7回 1988年 小野塚国春    第 6回 1987年 大矢三郎    第 5回 1986年 川上昭吾   
  第 4回 1985年 小野 勇    第 3回 1984年 佐藤祐一    第 2回 1983年 永井正雄    第 1回 1982年 安達生恒   

 


第38回
 令和4年(2022年) 教育講演会  講師:芝 至さん

日時: 10月14日(金曜日)午後2時より
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 芝 至  第41回卒業、輝友会
略歴:四之町出身
演題: ニュースを伝える“報道の仕事”とは
概要:
 

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第39回
 令和3年(2021年) 教育講演会  講師:吉原忠彦さん

日時: 10月8日(金曜日)午後2時より
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 吉原忠彦 :第40回卒業、鳳凰会
略歴: 昭和62年片貝中学校卒業後、小千谷高校、新潟大学理学部を卒業し、越後製菓株式会社に入社。
現職 越後製菓株式会社代表取締役社長、High-Pressure Support株式会社取締役、越後食品株式会社取締役、株式会社安全給食サービス取締役、株式会社高弥産機監査役
演題: 食品製造業の未来に向けての役割
概要: 講師の吉原さんは越後製菓の社長という重責を担っています。片貝町内にいくつも工場がありおなじみの越後製菓ですが、吉原さんにとっても同じで高校生のときのアルバイトや学生時代の研究開発担当の皆さんとの交流がきっかけになって同社に入社しました。
講演ではまず食品製造の技術で「おいしさ」をどう追求しているか、いくつもの技術や製品の紹介がありました。例えば、高熱でなく高圧を使って原料の色や香りを残しながら安全にしかもおいしく調理したパックごはん。脳卒中予防やリラックスに効果のあるGABAというアミノ酸の一種や、ポリフェノールなどで知られる「抗酸化成分」を高圧加工によりこれまでになくたくさん食品に取り込む技術開発が進んでいること。さらに応用して細胞や臓器を保存し、小型容器で輸送するなど医療を含めた実験が進んでおり越後製菓もこれに取り組んでいること、などです。
さて、持続可能な社会のために、豊かさばかりを追い求めるのではなく大地に負担をかけない食料生産のあり方や飽食を改めることが求められています。こうして食品に関していえば賞味期限を延ばす、仕入れ管理や販売方法を工夫する、などで製造販売者も消費者も食品ロスや包装を減らすなどの環境への配慮がますます大事になっていると吉原さんは強調します。
越後製菓ではこのような取り組みはもちろんのこと、安心して食べられる食品、自然や資源を大切に、といった目標を掲げていることも紹介されました。その中には「剛健質朴」もあること、加えて吉原さんから児童生徒へのメッセージとして「不撓不屈」の気持ちで進学し社会に巣立ってからも素直でしかも強い気持ちをもってくじけずに困難にもくじけずに歩んでほしい、と呼びかけて今回の講演を締めくくりました。
 

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第38回
 令和2年(2020年) 教育講演会  講師:郷 貴大さん

日時: 10月9日(金曜日)午後2時分より3時20分
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 郷 貴大 :第39回卒業、翔心会
略歴: 片貝中学校・小千谷高校・埼玉医科大学短期大学卒業・国際医療福祉大学大学院医療福祉学研究科保健医療学専攻を修了、理学療法士
上尾中央総合病院リハビリテーション科入職、その後山形医療技術専門学校・山形県理学療法士会理事・新潟県保健医療専門学校設立準備室・新潟県理学療法士会事務局長・日本理学療法士協会代議員などを歴任し、現在は看護リハビリ新潟保健医療専門学校理学療法学科教務主任および新潟県理学療法士会副会長
演題: 運動の科学
概要: 理学療法士は骨折などからのリハビリやアスリートの怪我予防を行う仕事で、医者や看護士さんなどとチームを組んで患者さんに向き合うこともやっています。
最後に「まとめ」とされた項目で講演内容を整理すると
・常識が真実とは限らない:「そうなんだ。でもホントかな?」
・上手くなりたい運動に沿った運動をする:素早い動きの種目なら速いトレーニングを
・運動のやり過ぎはダメ:やり過ぎると筋肉の回復が間に合わずかえって低下する
・運動は認知症予防、学習、気持ちをサポート:コグニサイズ(頭と身体を同時に使う運動が効果的
・筋トレには強さx回数が大切:軽い負荷でも回数を増やせば筋肉が増える。
・スクワットはつま先ーひざー股関節を一直線に:正しいスクワットをすること
途中で生徒全員に実技「足踏みしながら4の倍数で声を出さずにひざをあげる、1,2,3、ポン。5,6,7,ポン・・・」とか「30から4歩毎に3を引いてひざあげポン」など。
そして正しいスクワットの実技を取り入れるなど、楽しい講演でした。
 

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第37回
 令和元年(2019年) 教育講演会  講師:安達ロベルトさん

日時: 10月11日(金曜日)午後2時分より3時20分
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 安達ロベルトさん :第38回卒業、一心会
略歴: 片貝中学校・長岡高校在学中に米国アーカンソー州に留学、両校を卒業、上智大学法学部卒業
写真家・作曲家・アーティスト、片貝中学校吹奏楽部と伝統芸能保存会のための「スプリット オブ 片貝」を作曲・発表
演題: ノイズがアートをつくる
概要: スクリーンとピアノ、大太鼓小太鼓がならだ会場で、生徒への「将来像あるか」「それに成れる自信があるか」と問いかけから始まりました。
ノイズとは?耳障りなもの、邪魔なものと言われる。テープでの録音からデジタル録音になってノイズが消え、きれいな音が再現できたことに感激はしたが、きれいすぎてノイズが無くなったらもの足りない!
「ようようとおして〜」と「しゃぼんだまとんだ」(両方とも中山晋平が作曲)をピアノでいろんな音を加えて比較演奏され、ノイズにより趣が変わることを表現されました。
ビートルズの音楽やモネなどの印象派の絵画は、それまでの整った絵から外れており、初めは受け入れられなかったが、若者を中心にいいじゃないかと広まった。
生徒にインスタントカメラ「写るんです」で撮ってもらった写真を映写して、フィルム写真の良さを解説。
アートのみでなく「水」や「酒」も混ざり物が無いとうまくない。人間関係も反対意見が出るなどノイズのある関係がいい。
私自身が片貝町になじめずノイズであったが、外に出て経験し、片貝に帰って「スプリット オブ 片貝」演奏して、涙の感激をいただいたことで、片貝のアートとなった。
自分に合った居心地のいいところを見つけて、片貝に帰ってくると片貝の居心地の良いことになる。
最後に一心会同級生と「二辺返し」をピアノで合奏(動画)していただきました。
※ 筆者感想 成人などが木遣りをアップテンポで唄うのも、ある意味ビートルズのような「ノイズ」なのかもしれません。
 

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第36回
 平成30年(2018年) 教育講演会  講師:砂山和之さん

日時: 10月5日(金曜日)午後2時分より3時30分
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 砂山和之さん :第37回卒業、翼進会
略歴: 片貝中学校・長岡工業高専機械工学科卒業、平成元年 日立造船技術研究所入社
演題: 最先端の電池開発を通して見える未来
概要:  本が好きな少年であった。15歳の時に先生から紹介された「星を継ぐもの」というSF小説に読んで、科学者、研究者になる夢を持った。
今の仕事は宇宙空間(真空中)で作動する電池の開発をしている。
電池とは電気を貯めておく装置であり、1800年代に発明された。10円玉、1円玉、キッチンペーパーと食塩水でで簡単に作れる。ダニエル電池といい電子が移動することで電気が流れるが、リチウムイオン電池は陰極に引っ張られたリチウムが陽極に動くことで電流が流れるので原理が違う。
現在最も優れたリチウムイオン電池がスマホやパソコンなどに多用されているが、穴を開けると発火する有機電解液が使用されており、危険性を内蔵している。電解質に液体を使用しないで、安全な全固体のリチウムイオン電池が求められている。しかし全固体電池は電解質が粉であり密接させるためには1cm2あたり10トンの圧力をかける必要があり、かつ使用中は熱膨張に耐えるために600kg/cm2の加圧が必要であった。
会社が得意とする高圧プレスの技術をもとに粉層を薄くするなど工夫して、無加圧で作動する全固体電池を完成して2009年京都で開かれた電池学会で発表したら、大反響であった。全固体電池の研究が拡大する契機となった。 安全で真空中でも使用できる全固体リチウムイオン電池は安く、リサイクルも容易である。
自動車メーカーなどと2030〜2040年を目指して研究を進めており、その中から未来が見えてくる。 ・自動運転で運転免許が不要に・再生エネルギーで充分となり、電気を貯めることで電気代がタダになる・強くて細いワイヤーで宇宙エレベーターができる・仮想現実技術でゲームはリアルに・脳の研究で夢が録画できる
2045年にコンピューターの演算能力が人間を超え、何が起こるか問題となっているが、心配ない。機械には感情が無く、人間を支配しようとすることは無い。 eスポーツ解説者、ITスポーツインストラクター、EVインテリアデザイナーなど新たにいろんな職業が生まれよう。
皆さんへの提案。本を読む、真実を求める、好きなことを目指そう、英語を勉強しよう、未来を想像しよう、習慣をつける、アンテナを立てて見逃すな。
仲間を大事に。片貝に生まれたことを誇りに持って。
※ 2019/10/22追記 砂山和之さんの研究状況が、中学3年生の理科の教科書に掲載されるとのこと。(2021年から4年間、啓林館発行)
 

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第35回
 平成29年(2017年) 教育講演会  講師:相崎裕恒さん

日時: 10月21日(土曜日)午後2時15分より3時00分
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 相崎裕恒さん :第36回卒業、成友会
略歴: 片貝中学校・長岡高校・新潟大学工学部・卒業、東京大学大学院修了 平成4年 特許庁入庁
演題: 知的財産制度を支える仕事とは
概要:  今年の講演会は、片貝中学校の創立70周年記念講演会として開催されました。記念式典の後のまだ緊張感が漂う中、小学校六年生も加わり、特許庁審判部にお勤めの相崎さんにご講演いただきました。「知的財産」って何だろう?きっと難しい話だろうと誰しも思ったことでしょう。ところが、アイスクリームとドラえもんを例えに用いて丁寧で分かり易くお話しくださいました。そして聞き取り上手な児童、生徒の皆さんから次のような感想をいただきました。

・「知的財産」ただ漠然としていたものがとっても身近なもので大切なことである。
・知的財産を保証してくれる商標権、特許権、意匠権などがあること。
・企業等が生み出した技術、アイデアが「一番」を独占するための審判をしている一つに特許庁があること。
・知的財産で社会や経済を支えているが紛争が起きうるのだということ
・これから商品を手にしたとき、なるほどこれだ!と気を留めてみる目が養われた
・東京霞ヶ関ツアー、行ってみたいです。
・片貝から日本のために働いてくださる方が沢山おられることを誇りに思います。

相崎さんからまとめとして、片貝はタイムマシンを持っている、今を有意義に過ごしてほしい、この先にも今の楽しい思い出が思い返せるように。辛いことがあっても同級会があり、何年経っても変わらぬ仲間達がいてくれることを忘れずに未来へ歩んでほしい。このような心に残る素敵なメッセージが送られました。
 

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第34回
 平成28年(2016年) 教育講演会  講師:Mrs.Naoko Degen(ナオコ・ディガン)さん

日時: 9月16日(金曜日)午後2時より3時20分
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: Mrs.Naoko Degen(ナオコ・ディガン) :第35回卒業、友心会
略歴: 片貝中学校・長岡高校・東京デザイナー学院を卒業、現在ニューヨーク在住のデザイナー
演題: 私の学んだ事」 〜渡米に至るきっかけと海外生活(アメリカ)での学び〜
概要:  ナオコさんはデザインを学ぶことを通じて、ふとしたきっかけからニューヨークの雰囲気に魅了されアメリカに渡航されました。
それ以来、26年間ニューヨークで暮らし、講演にも同行したマイク・ディガンさんという米国人の伴侶を得られました。現在では、映像やイラストのデザイン事務所を13年前に自ら設立し、多くの顧客に恵まれながらご活躍されています。
 言語や生活環境が大きく異なる海外の生活でのご苦労されたことにも触れられました。それは、文章として書かれた文字がひっくり返ったり順序が入れ替わって見えてしまうなどの症状です。このことに十代の頃より人知れず悩まされ、なんとかこれを乗り越えてこられたきたのだそうです。このような症状は米国ではよく認知されており、独自の空間認識能力や柔軟な発想などに支えられて芸術家や起業家として活躍している例も多いとのことです。ご自身の渡航に対して、夢を実現するのを支えてくれた周囲に感謝しつつ、外に大きく開かれた今の世界なら何でも実現できると信じてがんばってほしいと片貝っ子を力強く励まされました。
 

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第33回
 平成27年(2015年) 教育講演会  講師:安達篤さん

日時: 10月9日(金曜日)午後2時より3時20分
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 安達 篤 :第34回卒業、実生会
略歴: 長岡高校・明治鍼灸大学卒業、平成4年に安達カイロプラクティックオフィス開業
演題: 「脳の活用法」 〜正しい言葉の遣い方など〜 」
概要:  「カイロ」は手、「プラクティック」は技術を意味し、全身の筋肉や関節のはたらきを整える手技療法です。これに加えて鍼灸(はり・きゅう)の施術もおこなっていますが、大学で鍼灸を専攻した頃には何のためにと悩んだこともありましたが、続けるうちに面白さがわかってきて、そのうちに今の仕事こそ天職と確信するようになりました。
脳の活かし方についてですが、「きっと上手くいく」という肯定的な意識を持っているとそれがプラスに作用してよい結果を生み出す元になります。夢をかなえるためには、思い通りにならないことがあってもくじけずに「目標をきっとかなえるぞ」といつも念じれば少なからず手助けになるはずです。そんな脳のチカラは誰にでもあります。
また、脳を活性化するためには言葉を発することです。「自分の耳が聴いている」言葉は脳への栄養素です。脳への入力(言葉)をしっかりと行えば出力(指令)も良きものとなり良き成果に繋がることまちがいないはずです。
最後の感想発表に6年生から『脳に興味を持ちました』という嬉しい言葉がありました。そんな片貝っ子を応援しています。
   

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第32回
 平成26年(2014年) 教育講演会  講師:山田ふくこさん

日時: 10月7日(火曜日)午後2時より3時40分
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 山田ふく子 :第33回卒業、さざなみ会
略歴:
演題: 「人との出会いで成長できたこと」 」
概要: 50歳を迎える母校卒業生を講師に招いての教育講演会が、台風一過のさわやかな秋空の下、片貝中学校全校生徒105名、片貝小学校6年生34名に加えて30名以上の地域の皆様に参加いただき今年も開催されました。張りのある声ではつらつと始まった講演、それもそのはずで講師の山田(旧姓 野中)ふく子さんはイベントや結婚式の司会業を福井県敦賀市で20年にわたり展開しておられます。

もともと人前で話すのが好きでしたがある出会いがきっかけでプロとして司会という仕事を始めることになりました。「ふく子さんにぴったりの仕事」と言われる今日に至るまでには回り道をしたり、辛い思いも沢山しましたがそんな時に出会えたのが『変化はチャンス』と前向きに物事をよい方向にもっていくのが大事と教えてくれた当時の上司でした。そして、「ふく子の一番のファンなんや、頑張らなあかんで」と何時なんどきも励ましてくれる二十数年来の伴侶です。

『自分で知ろうとすること、学ぼうとすることが大事』というのも自分をもっと伸ばしたい、新しいことに取り組みたいというときに意識するテーマと山田さんは語ります。こうして積み重ねてきた数々の経験談に、児童生徒たちはじっくり耳を傾けていました。そんな片貝の後輩たちに「過去や他人は変えられなくても、自分と未来は変えていける」と励ましてこの日のお話を締めくくりました。
   

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第31回
 平成25年(2013年) 教育講演会  講師:小川千春さん

日時: 10月28日(月曜日)午後2時より3時20分
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 小川千春 :第32回卒業、緑翼会
略歴:
演題: 「片貝の裏山は世界に通ずる」 」
概要: 教育講演会は中学生96名、小学六年生47名と地域の皆さん約30名の参加をいただき、講師小川さんのお話を聴講しました。
新潟県は天然ガス生産で日本一であり、その中でも片貝の裏山にある片貝ガス田は日本有数の生産量を誇っています。勤務している天然ガスを原料とする会社は中東、南米、アジアなど世界中に展開しています。
生産活動を通じて社会に貢献している従業員の安全と健康の下支えとしての産業看護師・予防医学の話。職場で演者が行なっている社員研修の一部(石に話す、相槌を打つ、ほめあいゲームなど)を1対1で実際に行って人間同士の対話と情緒について生徒の皆さんに体験してもらいました。人をほめるには興味がないと出来ないし、自分に知識やセンスが必要であります。
世界に誇れる環境とネットワークを活用して、片貝の裏山に負けないようにグローバルに頑張りましょう。
生徒代表からは、天然ガスからいろんなものが出来ていてガスの不思議を知り改めて誇りに思います。人と人とのパイプラインを繋ぐためにも、センスをみがいていきたい。片貝ってお祭りだけじゃなくて、すごいところだったんだな、などの感想が聞かれました。
   

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第30回
 平成24年(2012年) 教育講演会  講師:安達警部補

日時: 10月12日(金曜日)午後2時より3時20分
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 安達警部補 :第31回卒業、恒友会
略歴: 小千谷高校卒業、警察学校
演題: 「私が選んだ道」 」
概要: 決意…昭和56年小千谷高校卒業後警察学校へ入校。10ヶ月の教育を得て駅前交番から始まる。白バイ隊に勤務したものの限界を感じ県外へ出向、ここでの多方面な出逢いで心機一転県内にもどり結婚。
一生続けられる職業をの思いで選んだ道であることを再認識した。どこにおいても心と心の掛け合い、あいさつの大切さが一番!
そして『命』の大切さ…宿命 運命 使命…を痛感している。趣味はフラワーアレジメントとウォーキングで中島みゆきの大ファン。
講演を終えて、東京片貝会の皆様の郷土愛の素晴らしさに感激しました。自分とも真剣に向き合うことができ、これを機にまた新たなスタートができます。ご本人の言葉である。
聴衆者を飽きさせないように笑いを含めた和やかなトークであった。警察組織の紹介や募集についての説明もあった。プレッシャーを楽しんで今しか出来ないことにチャレンジしましょう。
   

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第29回
 平成23年(2011年) 教育講演会  講師:相崎 勇さん

日時: 10月21日(金曜日)午後2時より3時20分
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 相崎 勇さん :第30回卒業、会
略歴: 新潟大学医歯学総合病院
演題: 「私が看護師を選んだ理由」
概要: 自然環境が豊かだった片貝町に生まれ、育ち、わんぱく坊主だった少年、怖いもの知らずの冒険者。何度か九死に一生を得ている。これが看護師の道を歩むきっかけでもある。虫の生死の観察から命の短さを知り、尊さが身に感じた事もきっかけのひとつである。
 職につくための「きっかけ」との出会いを考えてみよう。 一方では、中学生の頃から音楽に興味を持ち現在も心の糧となっている。何曲か曲が流れ聴き入ってしまった。一瞬会場は心安らぎの時となった。音の響きの変化は心の変化であり、音の組合せは人の心の気持に安らぎを与える。
看護師を続けている上でも大切な宝物である。 「心の成長期である中学、高校時代特に好きになったも のは、一生の宝物になるに違いない。」この言葉は生徒たちの心に強く残ったようだ。  今はもう一つSLにも興味を持っているとのこと、数々の経験が必要。チャレンジ精神、夢を実現していくために学び、自分の好きな事を自分のものにして行こう。
 「仕事(看護師)は、決して楽しくはなく大変ですが、飽きません。飽きずにいることで人々の笑顔が見られるからです。」 一酸化炭素中毒、不安障害、アルコール依存症、摂食障害、アスペルガー障害などのお話もあった。認識不足の病気がたくさんあることがわかった。病気にかかわらず、世の中知らない事がまだまだ沢山ある、自ら学ぶ姿勢が大切。自分の路は、自分で見つけ出し、切り開いてほしい。
   

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第28回
 平成22年(2010年) 教育講演会  講師:藤塚伸雄さん

日時: 10月22日(金曜日)午後2時より3時20分
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 藤塚伸雄さん :第29回卒業、福寿会
略歴: 片貝中学、高校、明治学院大学経済学部卒業、カストロール叶l事企画部人材開発マネージャーを経て、ジョンソン、ボーダフォン、AIU保険鰍ネどの人事部を歴任、現在 藤塚事務所設立
演題: 「スポーツとチームメンバーから学んだこと」
概要: 大学時代のアーチェリーチームで友人に恵まれ、チームで組織と人について学んだ。人事部門のマネージャーとしてのキャリアを元に人事コンサルトの会社をやっている。
  大学時代に行った”アーチェリー”について、実物の弓・矢・的を持参し弓矢を生徒に持たせるなどで説明し、的に向っての実射も見せ、興味を引いた。関東学連一部Aブロックでのチーム優勝を目指して、メンバー一人ひとりの力を十分発揮できるようなチームを作り上げ、優勝できた。チームつくりの中で実際社会の組織と人との関わり方について基本となる考え方を学ぶことができた。ペットボトルに水が半分入っているペットボトルを見せて、「もう半分しかない」と考えるか、「まだ半分ある」と考えるかと問いかけ、同じことでも考え方で結果が全く違ってくる。自分についても自信を持ったイメージをする事が大切であり、自分に自信を持つことによって他人の意見も良く聞けると説いた。故郷を離れてみて片貝町の素晴らしさ、何んと言ってもいつも暖かく迎えてくれる仲間達がいます。皆さんも故郷を愛する気持ちと誇りを持っていただけたらと願っています。
   

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第27回
 平成21年(2009年) 教育講演会  講師:高野昭人さん

日時: 10月23日(金曜日)午後2時より3時20分
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 高野昭人さん :山屋出身、第28回卒業、ふたば会
略歴: 片貝中学、長岡高校、富山医科薬科大学薬学部(薬剤師)、富山医科薬科大学大学院(博士)
ロート製薬(株)、金沢大学を経て、昭和薬科大学勤務・准教授(現在)
演題: 「出会いを大切に、広がる世界」
概要: 片貝町に生まれた気の弱い泣き虫の一人の少年が、成長に伴い、数々の出会いと別れを重ね、また幸運にも恵まれ、世界の秘境であるヒマラヤやブラジル・アマゾンを訪ねる一研究者になりました。誰が想像したでしょう?これまでの50年間で経験したことをお話したいと思います。
  昭和薬科大学町田キャンパスの薬用植物園で、薬草の栽培・研究、知識普及(学生教育・住民や薬剤師への普及・小学生)を行い、昔からの薬である「たんぽぽ」の研究をしている。(香り、味などいろんな植物をを持参し、生徒に体験させる。酸っぱさを甘く感じさせるミラクルフルーツを実際に体験して生徒たちは興奮) アスピリンやタミフルなども植物から作られ、新しい薬を求めてナパールなど各地へ調査に出かけた。険しい地区での薬草の探索や風化してしまう前に薬草の聞き取り調査。英語を勉強しておけば良かったと思った。「今できることを精一杯、一生懸命やればよい。」「君たちには誇れるものがある。仲間やこれから出会う人とのつながりを大切に。」
 

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第26回
 平成20年(2008年) 教育講演会  講師:太刀川正美さん

日時: 10月10日(金曜日)午後2時より3時20分
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 太刀川正美さん :町裏出身、第27回卒業、船出会
略歴: 片貝中学、長岡高校、東京工業大学、東京工業大学大学院(博士)、NTT厚木通信研究所
演題: 「NTT通研の1研究者が考えていること。研究そして環境・防災について」
概要: 研究者になって、研究はおもしろい。
  衛星中継が始まってケネディ暗殺事件で地球の裏側の映像が見られるようになった子供の頃、宇宙旅行やテレパシーなどができたらいいなと思っていた。
研究者となってLEDで大画面の壁掛けテレビを目指し完成したが、残念ながらコストが高かった。
小学生時代は上手く話ができなかったとき、言葉でなくテレパシーで伝えられないかと思った。現在握手するだけ、指輪して握手するだけで名刺交換などの情報を伝えあえる方法が考えられてきている。
算数から数学、物理へと考え方を知る問題として
@線分に含まれる点の数は長短、いずれの線分が多いか−問題が違っていることを証明することが学問
AA点から鏡に反射してB点に届く線の求め方−反射角が同じとしての解答から光はサボる性格があり最短で進むとしての解答
B二重スリットでの干渉縞−光を波とすると理解できるが、光を粒で説明しようとするとその一個がどこへ行くかわからない(量子力学)ということになる。古典Newton力学では10年後も行動が決まってしまうが、量子力学では光の粒のように決まっていない。
研究は苦しいが見つかったときのうれしさが研究者の醍醐味である。人が当たり前だということなどに疑問をもつことの出来る人、もち続けることの出来る人は是非研究者になって欲しい。.
 

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第25回
 平成19年(2007年) 教育講演会  講師:安達.靖さん

日時: 10月14日(日曜日)午後2時より3時頃まで
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 安達 靖さん :五ノ町出身、第26回卒業、酉戌会
略歴: 片貝中学、小千谷高校、東芝エルイーマーケティング叶V潟支店長
演題: 「一瞬の美しさに魅せられて・・・」
概要: ワーク・ライフ・バランス
  家電販売会社で新潟県の責任者として働いている。
運動が好きで中学では体操部に所属したが、高校で入った体操を3ヶ月でやめ、そのまま過ごしてしまった。目標を持ってひとつずつクリアーしていけばよかったと反省している。
高卒で入社したが、仕事に自信があるのに大卒に追い越されていくのに発奮して知識を必死になって覚えた。
1995年のwindows95発売のとき会社にパソコン専門部隊が作られ配属され、独学でパソコンの勉強をしたのが契機となり、情報管理の責任者となった。
東京のパソコン事業部では全国を見て回る仕事があり、いろんな人と知り合い、今も続いている友達となった。多くの人と話をしていいものを吸収してください。
趣味は「花火」であり、ホームページ「片.貝まつり迎賓館」を公開しており見ていただきたい。パソコンの知識と自社がデジカメを販売し始めたのがきっかけであり、片貝まつりを紹介するHPが無かったことで立ち上げた。情報管理に気を使っている。
気象庁職員、建築家、経営者、会社員から中学生まで全国の花火好きなメンバーを集めて「片貝奉納煙火愛好会」を作り片貝まつりに花火を奉納し、全国の花火大会を見ている。
鶴岡・赤川の花火は音楽に合わせて打ち上げる競技(ビデオ上映)、土浦の花火競技大会の紹介番組では打ち上げれば数秒の花火もそこまでに試行しながら多くの時間を費やしていることを知り、じっくり見なければと悟った。
大曲の花火競技ではまん丸で消え方も一瞬にという美観を競い、何重もの同心円での形が美しい。(ビデオ上映)
新潟は花火大会が40箇所もあり、柏崎(海)、長岡(川)、片貝(山)が越後三大花火と言われている。
片貝の花火は個性があり、町民もやさしくて良い。片貝に生まれてよかった。
「仕事をやって花火を見に行けるね」と言われるが好きなことであり「ワーク・ライフ・バランス」を図っている。仕事だけでなく趣味も楽しむことで、スッキリした頭で集中でき、新構想も出てくる。自分の時間管理、自己管理で能力を磨く。勉強とスポーツの両立も同じ。
同級生はありがたい、いろんなところで助けてくれるのは同級生であり友達である。友達を大切に。
 

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第24回
 平成18年(2006年) 教育講演会  講師:宮入祐子さん

日時: 10月10日(火曜日)午前10時45分より12時10分頃まで
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 宮入祐子さん :五ノ町出身、第25回卒業、しろがね会
略歴: 片貝中学、大手町高校、ダイドードリンコ梶A主婦、 現在は主婦、電気工事店勤務、両親介護、フリースクールのボランティアなど
演題: 「友達をたくさんつくろう」
概要: よい友達が大勢おり、忙しくともやりがいのある生活
  明治学院大学卒業後に就職した会社でご主人と知り合い結婚、ご両親に同居のため長野県上田市に転居した経歴から話が始まった。
上田市の紹介、自宅の紹介のあと、主にとして上田市での豊富な交友関係を紹介された。
フリースクールを主宰する若者、英会話で知り合った友達など自分が尊敬できる素晴らしい人々。
陰口や後ろ指はそれをしている自分自身が嫌いになることが分かって、やめた。同じ話すなら直接話せばアドバイスになる。
興味を持ったものにはすぐ取り掛かる性格から、毎日電気工事会社の総務の仕事、主婦、両親の介護そしてボランティアとしての尊敬できる友達の応援と忙しいがやりがいがあるし、つらいと思ったことはない。など現在の生活の充実感とともに、自分の原点は片貝であり、同級会であり、家族であると話されました。。
 

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第23回
 平成17年(2005年) 教育講演会  講師:内藤冨美子さん

日時: 10月14日(金曜日)午後2時より3時20分頃まで
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 内藤冨美子さん :一ノ町出身、第24回卒業、つくし会
略歴: 片貝中学、西小千谷高校、自衛隊、主婦、 現在は専業主婦、東京片貝会理事など
演題: 「皆さんの夢は・・・自分の可能性を一緒に考えてみましょう」
概要: よく見て、たくさん話、しっかり聞いて、楽しく頑張れるよ
  日光東照宮の三匹のサルとは逆に、「よく見て、いっぱい話して、しっかり聞く」こと。
小学・中学と多くの仲間と先生がいた。努力を教えてくれた先生に憧れ、先生になりたいと思った。
第一志望に行けず、もう少し勉強しておけばと後悔。西小千谷高校でボランテァ活動を知り、人の役に立つ事が快感であることを体感した。先生になることより自衛官を選んだ。自衛隊の教育は大変だったが、全国から集まった仲間がいた。夜間通学で保育士の資格を得た。結婚して専業主婦となり、娘が幼稚園に入った時誘われて幼稚園の先生になった。先生になる夢がチョット叶えられた。 歳をとり、現実がみえるにつれ、夢は変っていく。夢は自分の力を信じ、自分で見つけ出すしかない。そして行動し、その結果には責任をもつこと。自信は良いが過信にならないこと。 「頑張れ」の言葉はプレッシャーになることがある。「頑張れるんだよ」という応援の仕方がいい。
可能性は誰もが心の中にある。「何々になりたい」と思うことから始まり、次に行動。失敗はつきものと考えればやれる。よく見て、話して、しっかり聞いて最後は自分で決める。一人ではない、仲間がいる。目と口と耳をもって、夢と希望をもって前へ前へ進んでください。ただし、決して怠けないこと。
生徒質問>今叶えたい夢はなんですか?講師>ヘルパー資格を取る為に試験勉強中です。
生徒>なぜ先生にならなかったのですか?講師>大学に進学する人が少なかったと共に、父、兄が自衛官であり、兄が目標であった
生徒>結婚退職で自衛官を辞めて後悔は?講師>後悔はない。結婚にあたり、仕事をしては家庭が犠牲になると考え、家庭を優先した。
 

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第22回
 平成16年(2004年) 教育講演会  講師:山口正彦さん

日時: 10月15日(金曜日)午前10時45分より12時15分頃まで
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 山口正彦さん :一ノ町出身、第23回卒業、つぐみ会
略歴: 片貝中学、長岡高校、明治薬科大学、エーザイ梶A 現在はエルメットエーザイ渇c業企画部長
演題: 「わたしの歩んできた道、考えてきたこと」
概要: 薬剤師で、薬メーカーに勤務されている山口正彦さんのお話
  薬剤師の仕事を説明され、薬剤師になるには、六年間の大学での専門教育と国家試験が必要である。
講師は小学校4年で薬剤師の夢を持った。目標を早めに立て、それに向かっての準備が大切である。
子供の頃は七人家族で祖母に可愛がられ「素直さと優しさ」が育てられ、そのおかげで現在があると思っている。
中学時代はスポーツと勉強を一生懸命やった。特に女性は、この時代スポーツで筋肉、骨の成長を促し、50年後骨粗しょう症にならないようにしていただきたい。
薬の開発はお金と時間が大変かかり、しかも新薬は一生に一つも稀である。
会社に入っても先輩に勝てるよう良い事をまねる事で学び、また挨拶が需要であることを述べられた。
 

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第21回
 平成15年(2003年) 教育講演会  講師:安達雪枝さん

日時: 9月1日(月曜日)午前10時45分より12時15分頃まで
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 安達 雪枝(あだちゆきえ)さん  四ノ町出身、第22回卒業、にじ会
略歴: 片貝中学、長岡大手高校、KDD勤務後、ポルトガル留学、スウェーデン移住し建築事務所など勤務、
現在は仕事の傍らGothenburg大学学生で主婦
演題: 「瑞国つれづれ」
概要: 遠くスエーデンにお住まいで今年50歳の行事もあり帰省され講演となりました。
  学校制度は義務教育は9ねんであるが、通知表は8年生からで、高校、大学の受験はなく学校の成績で決まる。受験志望の多い(医学部など)はくじ引きで決まり、18歳で成人となり、経済的自立する。
瑞国は日本より少し大きいが、人口約900万人、工業が発達しており、ノーベル賞をはじめ発明家が多い。便利な台所用品の実物が紹介された。北欧の自然現象として、オーロラ、白夜が見られ、零下20℃近くで海が凍り、車が走る道路標識が現れる。福祉は「ゆりかごから墓場まで」で有名であるが、老人福祉に関し日本から見学、勉強に見える。老人ホームから自宅での生活へと、ヘルパー制度に力を入れつつある。福祉はお金がかかり、地方税30%、消費税は25%など税金は高い。
自分の経験を踏まえて、子供の力、自分の力を信じ、やりたいことを自分の道を見つけ全力投球で頑張り、自由に飛びまわろう。
 

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第20回
 平成14年(2002年) 教育講演会  講師:吉井新平さん

日時: 11月8日(金曜日)午後2時より3時半頃まで
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 講師:吉井新平(よしいしんぺい)さん 屋敷出身、第21回卒業、つどい会
略歴: 片貝中学、長岡高校、新潟大学医学部卒業、現在は山梨大学医学部第二外科 医師・助教授、主にお子さんの心臓手術治療を担当
演題: 「こころを育む外科医を目指して」
概要: 小児心臓外科手術、山梨大学第二外科助教授
   ご自身で執刀されたそのものの心臓手術をビデオで紹介されながらの講演で、実際に心臓が止まり、切除され、縫合されて動きだす! 迫力満点でした。 すごいことをやるな〜〜っと思ったら、肺と心臓がご専門の手術をなんと昨年は150回も!!!毎日手術ですか...。  瞬間瞬間の判断の積み重ね、それも家族の期待や祈りを背負っての緊張...自分をリラックスさせることが仕事とか。ご苦労様です。西脇和尚の法話を聞いた時に服装が気持ちを作ることに気がついた。法衣が説教をさせる気持ちにさせ、手術衣に着替えていく過程で外科医の気持ちが出来て来る。生徒代表にパンツ一丁から次々と手術着姿に変身させ、最後に生徒は「手術する気になった」という。
 

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第19回
 平成13年(2001年) 教育講演会  講師:山口早苗さん

日時: 11月2日(金)午後2時〜3時半
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師: 山口 早苗 氏 第20回卒業にれ会 鴻巣
略歴: 農業 無人ヘリコプターを使用した稲直播き栽培、農薬散布など
演題: 「趣味を活かして、楽しいアイデア夢農業」
概要: グランドでの無線誘導ヘリコプターを実演に続いて体育館での講演でした。 
  高校卒業後、専業農家を継いだ。冬の出稼ぎが普通で分教場の講師などをしていたが、自宅でできる冬の仕事としてきのこ栽培などをやった。
ラジコン飛行機の趣味が嵩じてヘリコプターの操縦免許を取ったり、手作りで道具を工夫したり。そば粉を入れたパン、大豆を炒った代用コーヒーなど自分で作った作物を自分で工夫して食べるのはおいしいし、楽しいことである。自分の好きなことを見つけて挑戦して欲しい。其のためにも勉強は基礎となるので続けて欲しい。
最近は天体望遠鏡で見る惑星が面白い。木星の縞模様など実際の惑星を見て感激して欲しい。「手」は自由で便利で、ありがたい。人を悲しませるような使い方はせず、周りの人を喜ばせるために使って欲しい。 
 

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第18回
 平成12年(2000年) 教育講演会  講師:芝 強さん

日時: 10月20日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  芝 強氏 昭和38年卒、第19回卒業十九伸会、四ノ町出身
略歴: 片貝中学校、長岡高校、東洋大学、円谷プロ−パラダイステレビ放送且謦役
演題: 「プラス思考でいこう!」
概要: 映像製作と放送事業
  芝さんは、片中を卒業後、長岡商業から東洋大学に進み、大学紛争の大学時代は目的目標を探すために、単身・リュック一つで欧州・アフリカ・インドを旅した。その後特撮で有名な円谷プロに入社。その後独立して映像製作会社を興すが、14年後事業を後輩に譲り、未経験の新しい職業に就く。真っ白な状態で勉強する事で良く吸収できた。6年過ぎたところで、先輩と現在の衛星放送のパラダイステレビ放送株式会社を興し活躍されている。ウルトラマンタロウの特撮の時の話や衛星放送の仕組みなど、自分がプラス思考で歩んできた事を語り、「皆さんも両親や先生に叱られたり、成績が思うように上がらなかったりした時など、くよくよせずに、プラス思考で行って下さい。そして楽しい人生を送りましょう。」
 

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第17回
 平成11年(1999年) 教育講演会  講師:佐藤篤司さん

日時: 11月5日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  佐藤篤司氏 昭和37年卒、第18回卒業永遠会、二ノ町
略歴:  片貝中学、長岡高校、信州大学、北海道大学博士科、国立新庄雪氷防災研究所所長
演題: 「私の雪氷研究 災害と地球環境」
概要: 雪に興味を持って雪氷の研究
  佐藤氏はまず、御自分の大学入試の失敗談から経歴に触れられ、雪に魅了された話へと入られた。
信州大学理学部のスキー部で活躍していた頃、リフトに乗っているとき、袖に雪が止まったのを見て雪の結晶に興味が湧いて研究を始め、それから自分の人生の目標が決まった。
北海道大学の博士科での研究発表がアメリカのモンタナ州立大学で注目され同大学の客員研究生として留学されたりして現在は山形県の国立新庄雪氷防災研究所長として活躍されている。
雪の結晶は温度によってその形が一つずつ違っている。雪崩の研究は大切ですが、いつ起こるか解らないので大変難しい。地球上の気候は、今もってはっきりと解らないし、温暖化の傾向だがこれも確たる予測は未知である。
皆さんも自分の日常を通して将来の目標を持ち、「少々の失敗は気にしないで、夢を持ち続ければ、チャンスが開ける。」と励まされた。   参照:永遠会HP「佐藤篤司博士(あっちゃん)の講演会」

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第16回
 平成10年(1998年) 教育講演会  講師:安達弘之さん

日時: 11月12日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  安達弘之氏 昭和30年卒、
略歴: 東京工業大学、NHK、NHKコンピュータサービス本部長
演題: 「2000年からの放送」
概要: 放送事業とNHKでの情報処理
  安達氏は昭和41年東京工業大学を卒業され、同年NHKに入社され、主にコンピュータ、情報処理という、最も時代の先端を行く分野でご活躍中です。
都会に出て、頑張ったお話を含まれた自己紹介から始まり、NHKの歴史と情報伝達の手法、放送の専門用語の解説、21世紀の放送など技術的に難しい分野を分かり易く、将来の夢を乗せて話をされた。
21世紀では、ハイビジョンの高品質化・多チャンネル映像・幅広いたくさんの情報サービスなどが考えられています。サービスは、いつでもニュース・いつでも天気・電子番組ガイド・番組情報サービス・マイビデオ・マルチメディアサービス・人に優しいテレビなどです。情報は沢山あれば良いのではなく、肝心な情報が正確に的確に伝わる事が重要と語られた。
これからの時代を担う皆さんの中から、誰か一人でも放送の分野に進みたいな、と思う人が出てくれば大変な幸せです。

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平成9年(1997年) 教育講演会は東京片貝会50周年記念式典のため休会

 


第15回
 平成8年(1996年) 教育講演会  講師:木下 伸さん

日時: 11月12日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  木下 伸氏 昭和29年卒、四ノ町「溝手」の三男。
略歴: 片貝小学校、中学校、長岡高校、大学、共同印刷渇c業課長
演題: 「わたしのあすなろ物語 自分の意思をしっかり持とう」
概要: 印刷業の紹介と息子さんの成長に思うこと
  学生時代:子供の頃は「良く遊び」沢山の思い出がありますが、「豚当番」が忘れられません。エサの芋を焼いてよく食べました。中学卒業の謝恩会の先生の渾名の替え歌も良く覚えています。
高校は体操部に入り沢山の友人が出来ました。皆さんも沢山の友人を作って欲しい。
勤務の事:高校卒業後共同印刷鰍ノ入社しました。印刷は紙だけでなく、日常生活のあらゆる分野に関係しています。時間との勝負で、22時間フル稼働で厳しい仕事です。ご存知の「少年ジャンプ」を作っています。毎週六百万部作っています。
息子のこと:息子は喘息という病気です。一日中いつ発作が起こるか解りません。何故症状がでるのか未だ良く解っていません。幼稚園の頃から病院通い、小学校では病院から通学させました。その後、小学4年の時、養護学校に入り、2年間を過ごしました。「少年ジャンプ」を毎週送り、息子の便りに一喜一憂し、夏休み、冬休みは片貝に来ていました。経過がよく帰ってきましたが、規則正しい生活「好き嫌いなく良く食べる」「人の心の痛みが分かる」子供になっていました。中学に入り自転車旅行がしたく「家出騒動」などもありました。高校では、体操部、水泳部で身体を鍛え、大学に入ってフランスまで旅行するようになりました。良く元気に育ってくれたと思います。
終りに:息子の今までのことを振り返ると、私の楽天的な性格もありますが、いつも希望を持って、前向きに人間を信じて暮らしたいと考えています。明日はきっと幸せになろうと、心に決めて頑張っていこうではあ りませんか。

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第14回
 平成7年(1995年) 教育講演会  講師:大塚浩一さん

日時: 11月2日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  大塚浩一氏 昭和31年卒、
略歴: 近畿日本ツーリスト兜白キ
演題: 「楽しい旅の裏話 旅は出会いの数、夢を持って世界へ」
概要: 世界で感じた「乗り物」「食べ物」「体験」  (来賓に恩師水島先生も)
  自己紹介:立派な校舎・体育館となり感無量です。また、生徒の元気で礼儀正しい挨拶に感心しました。
私は1959年片貝中学校を卒業、小さい頃から好奇心が強く、世界の国々を回ってみたいと言う欲望は強く、学生の頃、東京オリンピック選手村でアルバイトをして、さらに夢は膨らみ、1967年近畿日本ツーリストに入社しました。旅行会社の添乗員とか、スチュワーデスとか華やかに見え、人気も高いですが実際には地味で厳しい事が多いです。
旅:旅行は五感(見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触る)によって、人それぞれ感じ方が異なりますが、私が感じたことで「乗り物」「食べる」「体験」についてお話します。
「乗り物」:日本の乗り物の時刻は世界一。ソ連は油が不足で電車が来ない。中国は機内食が無く、機から降りて、空港近くのレストランで。南米は列車が古くトラブルが多い。コンコルドの速さは世界一、マッハ1で音速と同じ速さ、騒音が凄く売れない。2万メートルの成層圏で飛び、空の色が青から紫に近く見える。スチュワーデスは4〜5ヶ国語を話し、純白のドレスを着て、褒め上手である。南米ボリビア、ラバス空港の高さは世界一(4100m)高山病にかかる。体調を整える注意事項は必ず守る。ペルーの山岳列車は世界一高いところを走る。インディオの帽子、ご婦人は、右が既婚者、左が独身です。
「食べ物」:珍しい食べ物は中国に多く、そのお話をします。”ぎょうざ”は二千六百年前から食べられていた。博物館に化石があるが、ガイドに要望しないと通過される。漢族の名物料理はラクダ。ラクダの足を輪切りにして食べる。ゼラチン質と赤味が交互にあり何の肉か分からない。ゲテモノ料理も、色々食べたが二つだけ食べられない物があった。一つは広州での蛇がとぐろを巻いた丸蒸し料理。原型のままで手が出なかった。もう一つは、沙田での鳩の丸焼きの脳みそをすする料理、参りました。
「体験できる物」:エジプトのパピルス/四千五百万年前の紙。専門のお土産店で実際に作ることができ、絵付けも出来る。エジプトは考古学の宝庫。インカ帝国は伝説に満ちた興味深い国。
私の好きな言葉は「人生は友の数」「旅は出会いの数」です。皆さんも沢山の出会いを大切に、多くの友達を持って、豊な人生を送っていただきたい。好奇心を持ち続けチャレンジして欲しい。

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第13回
 平成6年(1994年) 教育講演会  講師:太刀川信一さん

日時: 11月4日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  太刀川信一氏 
略歴: 長岡科学技術大学助教授
演題: 「夢と科学技術 時計電話の話」
  中学生の頃、私は漫画やSF小説に夢中でした。
当時アポロ11号が月面に着陸した。人類が初めて月面に立ったということで大変でした。そんなことが、まだ出来ていなかったのか、随分遅れているな、と、漫画読みすぎの私は思ったものでした。
しかし現実と夢の区別がつかないような時に、案外面白いアイデアが浮かびます。
タイムマシンは過去と未来を行ったり来たりする機械です。光の速度ぐらいの乗り物に乗っていると普通の場合とは時間の進み方が異なってくる。アインシュタインの理論ではタイムマシンも出来る理屈になります。 ユーホーは浮いて止まっている。つまり重力が無い。重力をコントロールするなんて、ニュートンではあり得ないことです。
重力も電磁波です。電波も電磁波です。電波も磁力も一種の波だから、まわりから制御すると、ひょっとしたらコントロール出来るかも知れません。
宇宙間の旅行は簡単です。地球の引力から脱出すれば、行ったり来たりできる。スペースシャトルは完全に現実の物です。地球を回っている駅です。人工衛星へ行ったり来たりすることが出来れば、いろんな実験が出来る。この前の実験では失敗しましたが、駅ができればスペースシャトルに乗っていって壊れた人工衛星を修理する事が出来る。
(黒板の前に三人、後に一人いて講義を受けている絵)
これをどう見るか。実はみんな自宅にいる。そして授業を受けている。後ろの人もそうです。先生だけは学校にいる。このシステムを使えば世界中の人が、同時に授業を受けられる。
この絵はテレビに地図が自動的に出てくるもの。車の道ゆき案内をします。人工衛星と交信して距離を正確に測ると完全に自分の車の位置が分かります。
これは地球の周りに信号が回っている絵です。光ファイバーという。電線より非常に細い線で光を入れるとはるかに多い情報が送れます。この機械は技術科学大学にもあります。ヨーロッパへ手紙を送ると五分もしない中に返事がきます。アメリカの学校には全部入っています。
今は家庭に電話は一台ということですが、将来は個人個人が持って互いに通話するようになります。やがて世界中の人と簡単に交信できるようになる。交際範囲が広くなれば地域差がなくなってくる。自分の住みたいところに住み、やりたい仕事をする。そういう時代が必ずやってきます。生産性も上ってくる。余暇もできて週休三日制になるでしょう。
アナログ信号とデジタル信号のこと。アナログは連続していて雑音がくると汚れてしまう。デジタルはカチカチ鳴っている。もし2という信号に0.1という雑音がきて2.1になったとする。これを四捨五入してやれば、2に戻ってきれいになる。CDやカラオケもこの信号で通信も次第にデジタル化してきた。携帯電話も自動車電話も中味は同じです。
ポケットベルは高校生に人気があるそうですが、音声は送れないが小さいのが利点。来年の四月から都会で始まるポータブルハンデソンというのがある。(PHS)これもデジタルで小型だからどこへでも持っていける。それから究極の目標である腕時計電話。小さく安く、何処へでも通話ができる。PHSと携帯電話を足して、どんどん小さくする。次に腕時計が人工衛星を使って、直接交信する。そうなれば世界中何処にいても通信できるようになります。この前失敗した国産ロケットに成功しておれば腕時計電話の進歩にも大きく役立った筈です。
私は電波に符号をつける研究をしています。これができると精度の高い距離が計れるようになる。そして通信も自由にできるようになる。夢も漫画のままなら何にもなりません。一歩でも前に進めるためにはアイデアを出すこと。学校の評価も記憶中心でなく、アイデアを中心にしたら面白いと思う。どうしたらアイデアが生まれるか、そのルールはない。ただ頭の中を自由にすること、よく考えること。悩むのではなく、考えること。
1、夢は大きいほどよい。
2、他人の意見や既成概念に捉われない。事故の哲学を。
3、協力が大切。各自が100%やる。それを合成すれば、何倍にも膨れあがる。
4、知った事を捨てなさい、棄てないと、新しい考えは出てこない。
5、アイデアに頭のよしあしはない。あせるな。起用より不器用がよい。
若い君達はアイデアの宝の山なのです。面白い事をどんどん考えて、やがて花開くように頑張ってください。

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第12回
 平成5年(1993年) 教育講演会  講師:浅田雄司さん

日時: 11月5日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  浅田雄司氏 昭和28年卒
略歴: 科学技術庁金属研究所・理学博士
演題: 「低温の世界 その不思議 志を持って将来へ」
  私は長岡高校で、小林校長先生と同級で、机を並べて勉強しました。園とは不思議なものと思います。皆さんも中学三年生位になると、将来の進路を考える時期がきます。私たちの頃は百四十人くらいいて、その内三十人が高校に進みました。早く父に別れた私は、恐る恐る兄に相談して承諾してもらった。
科学者を志す
当時ソ連が盛んに核実験をしていて、放射の運雨を降らしていた。私の正義感が、そしこれを研究して、世に役立てようと決心しました。ところが、結果としては金属を研究することになってしまった。それは試験に合格して低温物理を勉強する事になったからです。
研究者になる資格は何か。いろいろ自然現象にかくれている問題を発見し、それを解こうとする好奇心があるかどうかです。
大学の先生が、鏡を見て、不思議に思わない人は資格がないと言われた。 写っている自分の顔は果たして自分かどうか。自分の顔を見た人は誰もいない。右と左が反対に写るのに、頭と足はどうして反対に写らないのか、先生は三日三晩考えたそうです。皆さんも考えてみて下さい。
低温の世界について
本題の金属の話ですが、絶対温度というのがある。我々が考えられる一番低い温度のこと、K、どうして作るか。
気体をどんどん圧縮してゆくと、しまいに液体になる。窒素はマイナス139度で液化する。液体空気は無色透明で指を入れると溶けてしまう。ヘリウムはマイナス269度で液体になる。ここまでくると全部液体になってしまう。金属は電流を通すが、抵抗がある。ところが温度を下げると、抵抗がなくなり、電流は通じ易くなる。水源の温度を下げると、突然抵抗が0に近くなってくる。超伝導になると磁石が浮き上がってしまう、これを利用したのが、山梨でやっているリニアモーターカーです。
(ビデオやOHPで説明)
液体ヘリウムの温度を更に下げると、ヘリウム2という新しい液体になる。これは忍者のようなもので、どんな小さな穴でも通る。入れた容器から逃げ出してしまう。これからこの分野は、更に研究が進んでゆくでしょう。筑波の金属研究所では、毎春公開の科学技術週間がある。案内しますから、関心のある方は来て下さい。
どうか皆さんも大きな夢を抱いて、勉強に励んで下さい。きっと新しい道が開けてくることでしょう。  

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第11回
 平成4年(1992年) 教育講演会  講師:佐藤量八さん

日時: 11月4日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  佐藤量八氏 大正12年卒
略歴: 前赤坂小学校長
演題: 「今なぜ「やせかまど」か 太刀川喜右衛門に学ぶもの」
  私が講演をお引き受けしたのは、東京の皆さんから、一度「やせかまど」の話をして欲しいと、前から勧められていたからです。
皆さんの先輩小宮善興さんは、中学校の時に「やせかまど」の研究発表をしたということを、ご本人から聞きました。
喜右衛門が序文を書いたのが、文化六年正月です。この日を本書の成立年としているのが、一般に言われています。51才の時です。けれども、その後十五年間の出来事が書いてあります。著者が亡くなる五年前です。だから著者は、この本を書くのに二十年近く、或いはそれ以上かかっているのではないでしょうか。喜右衛門の生涯の仕事だったと思う。
本は八冊からできていて、前編四冊が、農業や政治、仏教、風俗習慣、娯楽、動植物のことなど、多方面に亘っています。後編は、当時村を中心に起きたできごとを、はぼ年代順に書いてあって、その記述は、記録文学としても価値のある内容です。
本書の価値は、左の三点に要約される。
1、文化・文政時代の農業の様子が克明に述べてある。
2、越後の農村からみた当時の政治のしくみ、国の動向、真宗の信仰のことなど、興味深く書かれている。
3、郷土史の資料として大切な資料である。
続いて喜右衛門の功績を述べ、更に本書が今日に伝わってきた経緯を説明し、内容の一例として、付録三「村方陣屋の事」を取り上げた。
当時ロシアの船が日本海にうろついていた。
幕府は心配して、与板の殿様を弥彦山の下に移して、監視させようとした。それには石瀬にある代官所を移す必要があった。どこか希望の村は申し出よとのことである。これに名乗りをあげたのが、片貝をはじめ七か村あった。
いろいろのいきさつがあって、結局最後の争いは、片貝と加茂が残る。ところが片貝は近隣の村の署名をもらっていないため、幕府の受けもよくない。
大急ぎで、近村の庄屋を片貝に呼んで依頼したが、どうも手遅れである。ご馳走や演芸で必死の説得をする。地理的にも近い片貝に是非との説得で、漸く賛成してもらった。書類は四日間で江戸に送られた。片貝に決定したという情報もあった。ところが、結果は白河藩の申し入れで、出雲崎に決まってしまった。
結局不成功になってしまったが、村の発展にかけた情熱には心打たれるものがある。さて、片貝は今後どう進むべきか。いろいろ提案を聞いているが、喜右衛門の熱意に耳を傾けるものがある。
私達の時代と違い、殆どの人達が上級校へ進学できる時代です。それを噛みしめて感謝し、勉強してください。自分の人生は、自分が切り開くよりはほかありません。どうか一日一日を大切にして精一杯力強く歩んで下さい。

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第10回
 平成3年(1991年) 教育講演会  講師:松岡規子さん

日時: 11月8日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  松岡規子氏 昭和27年卒
略歴: 前看護士 主婦
演題: 「片貝線香花火の旅」
  私の家族<br>
父は教師でまじめな無欲の人でした。漢字は大切だといって、教えてくれた。子供に小言を言うな、本人の意思を尊重せよと、よく母に言っていた。ヘビースモーカーで脳軟化になった。煙草は麻薬だから注意してください。
母は世の中はよい事ばかりない、と達観していた。洗濯炊事・育児何もかもひとりでやった。戦後の苦しい時でだったが、ぼろを着ても心は錦の意気込みだった。私が母の肩を叩いてあげると、大変喜んでくれた。毎日仏壇にお経をあげるので、私も一緒にお参りした。兄は大変な読書家だった。姉に助けられた事もある。弟とはよく角力を取って遊んだ。その弟が駅伝で二位になった。人間はいつか、自分の出る幕がくるものですね。
こうして、五人は喧嘩したり、助け合って成長した。けれども今は、こういう経験をしようにも兄弟がいません。
中学の頃
中三の時の先生が忘れられません。何かみんな燃えていた。掃除をほめてくれる、学芸会のすばらしい演出もあった。モンテスキューの自由についても教わった。今は権利を主張することばかり多く、義務を果たすことを忘れてはいないだろうか。
私の願い
今日のような性の乱れは、昔は考えられなかったこと。しっかりしないと親に心配をかけることになる。私は看護婦をしていたが、奥の深い仕事です。が、結婚してやめた。三井、住友とか立派な社長さんが入院した。奥さんが見舞いにきた後へ、二号さんがくる。こんな人はつまらない人です。
私はコーラスに興味を持ち今でも立派な先生の教えを受けている。それを心から仕合わせと思っています。廃品回収をして、ピアノを購入した。地域の主婦をグループにまとめるのに苦労したが、原点さえ忘れなければ、いつかは分かってくれます。まことに継続は力なり、です。
私は週に二回、早大にいっています。皆さんもやがては大学生になるでしょう。バイクで怪我などしないように。地方出身の人は断れなくて酒の一気飲みをやらされる。急性アルコール中毒ほど恐ろしいものはない。外国人に誘われてエイズにかかる人がある。どうか自分の意志をはっきり示せる人になってください。
母はわが子に、自分の乳を与えてほしい。これは宗教ではない。わが子を愛情を持って育てれば、必ず信頼と尊敬が生まれてくる。
片貝は祭りになると熱狂します。十年経つと、花火を揚げたくなる。これは素晴らしい知恵だと思う。
皆さんが私の話をこんなに素直に聞いてくれるなんて、ほんとにすばらしい。これは互いに命の通いあいがあるためではないでしょうか。どうか誇りをもって、新しい未来を築いていって下さい。

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第9回
 平成2年(1990年) 教育講演会  講師:黒崎敬五郎さん

日時: 11月15日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  黒崎敬五郎氏 昭和6年卒
略歴: 書道家
演題: 「独立精神をやしなう」
  私の半生
私は三之町の生まれです。昭和六年に小学校を卒業しました。故郷ほど懐かしいところはない。子供の頃は随分いたずらもした。あの時の場所や友達は今どうしているかしら。須川でなまず捕りをしたが、、実におもしろかった。
野球はミットもバットもない。木を削ってバットにした。兵隊ごっこもした。その頃からバスケットが強かったものです。みんな着物を着て登校していたが、洋服は私ともうひとり、二人だけだった。当時高等三年があって、山を越えて隣村から吹雪の中をやってきた。当時の人はそんな苦労に耐えて勉強した。
私は飛行気乗りになろうと志して、講義録をとったが、体をこわしてあきらめた。古本屋をやろうか、南米へ行こうか、いろいろ夢をもった。その頃、東京では夜の上級校があるのを知って、飛び上がるほど嬉しかった。長岡から東京へ向かったが、淋しくなって涙がポロポロ出た。
江戸川の勤め先が四時半に終ると、神田にゆき、五時半からの夜学で勉強した。夕食はいつもバターつきのパンをかじってすませた。その頃書道を教えて下さる先生があって、そこへも行った。寒くて手が動かない日もあったが、寝るまを惜しんで練習したものだ。その後昼の学校へ転入になり大学の法学部に進学した。戦時中だったので、九月に卒業して、海軍に入隊した。フィリピンにも行ったが、まもなく終戦になって片貝へ帰ってきた。
それから町の若者達を集めて、青年団を結成した。方々から先生を招いて、幸福論や恋愛論を話し合ったものです。推されて団長になったが、私の任期中五年間に警察の世話になったものは一人もなかった。
私達の活動は新潟日報にも紹介されたし、県史にも載った。このことが構成に残る事になったのは光栄の至りと思っております。
bokouの先生を昭和22・23年とやりましたが、再び上京して、書道の勉強に専念する事になった。良い先生に恵まれて、日展にも入選する事ができた。
私の人生観
生きている以上、社会にどう生きるか、ということが問題です。この一万円札に載っている福沢諭吉は、日本繁栄の基礎を築いた人です。信条として独立自尊を訴えている。
他人によりかからない、自分の考えを持って生きなさい。物事はきちんとやること。なるべく人のやらないことをやるべきです。それには発想の転換が必要です。
私が寄贈したこの条幅には、独立不羈と書きました。(この語源を説明した後)諭吉は役人にならず、勲章も貰わなかった。「学問のすすめ」は、今の多くの示唆に富んでいます。
書について
ことばがあり、文字があるから人間同士の意志が通じるのです。だから文学は大切なものである。文字の起源である甲骨文字は、中国の河南省で発見された。亀の甲を焼いて、事柄を判断した。それが元となって、文字が生まれ今日に至っています。
今日はいろいろ話しましたが、どうか私の情熱だけでも汲み取っていただければ幸いです。

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第8回
 平成1年(1989年) 教育講演会  講師:黒崎正さん

日時: 11月10日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  黒崎 正氏 昭和 年卒
略歴: 湯浅商事(株)取締役
演題: 「ビジネスライク よりよく生きる」
  私は茶畑の産で、中学校第三回の卒業生です。長岡高校時代は、佐久間校長先生と三年間机を並べた仲間です。
東京に出てつらい時、悲しい時に、自分を育ててくれた片貝のことが勇気づけてくれました。東京片貝会は、本年創立30周年を迎え7月9日に盛大に行ないました。片貝に生まれ、よいふるさとを持ったと感じています。
私の勤める湯浅商亊は、歴史の古い会社で、本年創業三百二十三年になります。徳川四代将軍家綱の時代です。私は一貫して、住宅関連の仕事をしています。私の経験の中から、お藩視をしてみたいと思います。
1、社会人としてコミュニケーションを如何にスムーズに運ぶかが大変重要な事です。世の中はすべて人間関係が中心です。その基本は、誠意と情熱と包容力ではないかと、思っています。
自分には徹底的に厳しく、他人には寛容である気持ち、これが包容力ではないかと思う。皆さんのクラブ活動でも、チームワークを円満に運ぶため、互いの立場を認め合いながら、誠意と情熱をもって、更に気配り、思いやり、包容力が必要ではないでしょうか。人柄がよい、人物が勝れているという人が必ず備えているのは、心の包容力であり、思いやりです。包容力のある人は、小さなことで怒ったり、いばったりはしないものです。
住友銀行の磯田会長が、入社式で言われた有名な言葉があります。それは「あおいくま」です。あせらず、おこらず、いばらず、くさらず、まよわず、人生は焦ってはいけない、しょっちゅう怒っても、いばる一方でも困る。試験で悪かった時、今日は面白くない、とくさってはいけない。また、人生の方向を考える場合には、決断が必要です。51%正しければ進もうじゃないかという姿勢が大事です。
2、失敗をおそれず、常に目標を高く設定してチャレンジする。人生は楽しい事、悲しい事山あり谷ありで、平坦ではありません。高い目標にチャレンジして失敗を恐れずやりこなす、失敗しても、その要因を徹底的に分析して、次にチャレンジするテーマにいかしてほしい。
ポジティブ考えるという事は」、陽転思考ということで、一つの失敗を次ぎのテーマに挑戦する時に生かせばよい事です。要員を追求せず、ダメダ、ダメダと言ってしまえば再起不能です。
日本のマラソン史上に君原健二さんがいます。ボストンで優勝し43年のメキシコオリンピックで銀メダルを貰った方です。現在新日本製鉄におられます。
昭和36年代の世界記録は2時間12分でした。しかし彼は1万米を30分で走る事を目標にしたそうです。従って42.195kmは2時間6分35秒であり、当時とすれば夢のような話です。しかし君原さんは1万米の日本記録を樹立し、ボストンで優勝し、メキシコでも銀メダルをとることを果たしました。
3、組織をどう活性化させるか。ばらばらの組織・連帯ある組織、それは最終的には、リーダーの統率力の問題です。
ノルウェーは世界有数の漁業国です。港に着く頃には、いわしは殆ど死んでくるそうです。ところが、ある漁師が生かして帰ってきました。なぜそれができたかというと、船の水槽になまずを一匹入れておきます。すると同じ種類の魚同志ならば、港に着く頃には死んでいますが、なまずがいると、鰯はこれは大変だと水槽の中を泳ぎまわり、港に着く頃も生きているということです。
会社は転勤があり、新入社員が入ってきます。その時点でなまずになれるわけです。皆さんが今後なまず役になるのもよし、又生きて帰れるいわしになるのもよいでしょう。
4、企業の人づくりについて
企業では最近特に人づくりの重要性が言われています。各会社とも相当膨大な費用を出して研修センターを作っています。経営の神様と言われた松下幸之助、また土光敏夫、本田宗一郎、堤義明さんなど、みな人材の使いこなしがうまく、企業が大きく伸びています。人材と言ってもいろいろな人材があります。
1人材 10のことを言われて12実行できる。会社にとって最も重要で、期待通り働く人。
2人材 10のことを言われて10実行する人。会社の戦力となる人。
3人在 10言われて8実行する人。企業にいなくてもよい人。
4人罪 10言われて5しか実行できない人。ミスも多く、むしろいない方がよい。
5人災 10言われて2しかできない人。周囲に悪影響を及ぼし、いてもらっては困る人。
皆さんが21世紀に生きる社会人として、1を目標にして頑張って欲しい。会社において財産になる人になっていただきたい。これからは経済環境が激しく変化してきます。新しい変革の時代に対応した考え方で進むことが、重要になってまいります。どうか皆さんの人生の中で、一つでも二つでも生かされれば幸いです。

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第7回
 昭和63年(1988年) 教育講演会  講師:小野塚国春さん

日時: 11月3日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  小野塚国春氏 第15回卒業 十五誓会
略歴: (株)ソニー 課長
演題: 「私の体験から 21世紀の主役達へ」
  私は15回の卒業生です。中学を出ると長岡工業高校に入りました。それで電子工学を勉強して18歳で片貝を離れ、東京に出ました。
初め芝電機という会社で2年働き、20歳の時にイギリスに渡りました。イギリスで四年間仕事をやり、日本帰ってきて、ソニーの厚木工場に入りました。ソニーの厚木工場でテレビ放送に使う機械を作る仕事をしています。ソニーは今、放送用機器の分野では世界一になったと言われていますが、約3000人の人たちが仕事をしています。
私の話は日頃自分のモットーとしている事で、三つあります。
まず、「前向きな生き方をしよう」ということ。
今年は1988年で、あと12年で21世紀になります。その頃皆さんはどんな風にしているでしょうか。考えてみてください。
ソニーは自己申告制度があります。年一回全社員に「将来自分は何になりたいか、三〜五年後には、今年一年はどうしたいか」を書く欄があり、自分の希望を書いて提出させる制度です。私は15年いますが、あてずっぽうに書いたことも実行しています。
皆さんは、お父さん、お母さんに、又友達や先生に自分のやりたいこと、なりたい職業について話をしていますか。ぜひそういう話をしてください。周囲の協力が得られたり、意外と実現する事が多いものです。
今なすべきことを一生懸命やって下さい。自分の希望をはっきり意志表示すること、自分の希望を決めて、いろんな人に伝えることです。
次に「これだけは守りたい」ということ。それはフェアでありたいということです。フェアとは」正直である。真面目であるとか、クリーンであるということです。反則をしなければフェアでしょうか。無論最低限のフェアはたもてるでしょうが、本当のフェアとは人の為になることを実行すること、別の言葉で言えば、正義を実行する事です。
オーストラリアに行って、FM放送を改善するため、コンピュータを使って自動化する仕事をしました。ところが」、その為16人のうち11人の仕事を奪ってしまい、非常に悲しくなりました。同じ事を繰り返さないために、私がはじめて課長になって、二人の仲間に対する反応に、大変気を使いました。何がフェアで、何がフェアでないかは難しい問題です。フェアでやったつもりでも、フェアでないこともあるか分からない。でも自分はいつもフェアであり続けたいと願っています。
最後に「自分が得意な事を大切に」私は中学生の頃、理科がとても好きでした。特に化学が好きでした。長岡工業高校に受かり、結局そのまま電気屋というか、今の道を歩き出した訳です。自分の得意とする分野で、仕事ができて良かったと思います。自分の得意とする事であっても失敗はあります。しかし、失敗を恐れずにやるというのが大切な事だと思います。
皆さんの中には、オールマイティの人がいるでしょう。全ての教科で万遍なく得意な人は、その中で特に得意な物を決めてください。そうでない人は一つ得意なもの、次に得意なものを決めてください。自分よりうまく出きる人がいても気にしなくてもいいのです。自分が得意と信じられれば、その人が得意なことなのです。それを大切に、大切に育てて下さい。
皆さんは21世紀を担う主役です。21世紀はロボットやコンピュータが生活に必要なものを作ってくれたり、計算してくれる時代です。だから、その主人としての役割を果たさなくてはなりません。今と違った価値観が必要となってきます。これからは便利な機械がどんどん出てくる。その時に必要なのは、生活に密着した言葉です。お互いに理解し合うとする心です。それがないと、21世紀は非常につらい時代になってしまう。私は皆さんが、自分の得意な分野で、これから開発される道具を十分に使いこなして、楽しく有意義な人生を生きていかれることを楽しみにしています。

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第6回
 昭和62年(1987年) 教育講演会  講師:大矢三郎さん

日時: 10月28日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  大矢三郎氏 第回卒業
略歴: 鍼灸診療院経営
演題: 「私の体験 幾多の苦難を乗り越えて」
  今、73歳になりました。学歴は高等科二年卒です。
こんな大勢の前で講演をしたことは初めてで、うまくお話できるかどうか。光栄の至りです。
私は町裏の百姓屋の九人兄弟の七番目として生まれました。非常に貧しい時代でした。まだランプの頃です。
二年生の時、お昼の味噌汁で手にやけどをした。また、草刈鎌で手を切って、その縫い後が今でも残っています。随分親に心配をかけました。
まもなく電燈が点いたが、家には二燈しかない。夜勉強をしようと思っても、電燈が使えないので、ろうそくで勉強しました。兄弟の中で私だけ眼鏡をかけているのはそのせいです。家計を助けるために、牛乳配達をしたこともあるが、小学校を卒業すると、東京の米屋に奉公に出た。然し肋膜炎になって、三ヶ月で片貝に帰ってきた。治療に灸を据えてもらった。これが鍼灸を私のライフワークにするきっかけとなった。資格試験を受けるのに金がかかる。そこで山口新聞店で新聞配達をやった。百二十件配るのに、七時から昼頃までかかります。だから勉強する時間がない。結局配達を止めたので、借金は増えるばかり。新潟へ行って受験したが、見事落第くやしさの余り、布団の中で泣きました。
片貝にいるのが嫌になっていた時、雑誌の広告に灸を教えてくれる所が大阪にあることを知った。そうだ成功した人は裸一貫から出発した、私も大阪に行こうと決心しました。来迎寺まで歩いて信越線に乗ったとき、何故か涙が溢れ出て、こらえられなかった。
大阪で、見習として働いたが言葉も習慣も違うので、大層苦労した。当時休日は月に一回しかなかった。その日を利用して地図を買い、繁盛している店を調べて歩いた。大阪城で焼芋五銭買って昼食にしたこともあった。風呂に入るのを我慢して学費に回した。居眠りをしながら灸を据えて殴られたこともある。ある時、合格したら交野の町で開業しないか、交野は京都と大阪の中央にあり、環境の良い所だと、勧めてくれた人があった。これが交野に住む縁となった。
私は早くから三つの誓いをたてていた。必ず合格しよう。開業して独立する。父母を関西見物に招こう、と。いよいよ試験の日がきた。君が代を歌って心を落ち着け、本家からもらった観音像にお祈りをした。ところが、前日勉強した問題が試験に出た。そして合格できた。その時の感激を思うと、今でも心が躍ります。
開業して、客もだんだん増えてきた。両親を関西に呼んだ時に、よくやってくれたと、お母さんが泣きました。厳しかった親に不満を持ったこともあったが、今はそれがむしろありがたい。考えてみると私は運の良い男です。雪国に生まれてよかったなあとも思う。古い言葉ですが、先生と親の言う事を聞く子は、必ず立派になります。社会の人からも良く思われるようになるに違いありません。孝は百行の基です。私は外国を十数カ国視察してきました。私のところへも勉強にきた外国人が沢山おります。
どうか皆さん、世界に向かって活躍するような人になってください。

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第5回
 昭和61年(1986年) 教育講演会  講師:川上昭吾さん

日時: 10月13日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  川上昭吾氏 第13回卒業 十三鶴会
略歴: 愛知教育大助教授(理博)
演題: 「私の歩んできた道」
  私の少年時代
私は農家の次男に生まれた。当時鴻の巣にも、小さな小学校があって、私は四年生までそこで勉強していた。同級生は18人しかいなかった。五年の時、鴻の巣の者は片貝へ、坪野の友達は小千谷へ合併されることになり、私も片貝の学校で勉強するようになった。
子供の頃はよく手伝いをやらされた。掃除、風呂焚き、農作業何でもやった。暗くなるまで稲刈り、はざ架けをした。今思うと当時の日本は貧しかったと思う。それに比べて皆さんは大変幸せです。お父さん、お母さんに感謝すべきではないでしょうか。
進学
勉強は余り得意ではなかったように思う。特に音楽は苦手で、ただ体育は大好きでした。数学と英語は好きだったけれども、ずば抜けた成績ではなかった。高校進学の時、トップの人達は長岡の高校へ進学した。輪つぃも長岡へ言っても良いといわれたが、小千谷高校に進学した。これは今でもよかったと、思っています。やはり自分に合う学校へ進むのが良いと思う。
小千谷高校は6クラスもあり驚きだった。足駄履きで山本山へ昇ったことも、懐かしい思い出です。高校に入って、始めて自分の進路を考えるようになった。担任の先生が、吉田松陰の言葉を引いて「妄りに人の師となる勿れ」と言われた。なるなと言われたら、余計になってやろうという気がおきた。こうして新潟大学に入学した。
大学ではよく登山をやった。また好きな英語と数学にも力をいれ、ドイツ語の勉強もした。四年の時に植物に興味を持つようになった。丁度広島に良い先生がおられるということで、大学院の試験を受ける決心をした。来迎寺から広島に行く時、どうしてあんなに遠い所へ行かねばならぬのか、いっそやめようかと思ったものだ。この試験はとてもダメだと思ったのに、運良く合格できた。広島では下宿のおじさん、おばさんから原爆の生々しい話を聞いたことも、今は忘れられない思い出である。
人生の転機
広島の大学院に入ったのは、私にとって大きな転機となった。植物の研究はともかく、これを進展するのに大きな力となったのは、英語とドイツ語の蓄積があったことである。また、私は生来ねちっこい性格である。これもたいへん助けになっていると思う。
大学院で羊歯(しだ)類の研究を課題された。夜は十時おろか二時、三時まで勉強した。十二時になると大学の門が閉まるので塀を乗り越えて帰らねばならない。よくおまわりさんに咎められたものだ。
夜が更けると大学の便所にお化けが出る。トイレの四角の穴から覗いている。昼は何も出ないのに夜になると出るので怖かった。こうして私の研究がよろしいと言われたのは、八月のことだった。丸五ヶ月もかかった。結論が出ない時ほどつらいことはない。その結果がとうとう出た。その時の喜びは今も忘れない。たいがい一ヶ月位で答えが出るのに私は五ヶ月もかかった。
雪国生まれの粘りで
難しい課題を投げ出すことなく、最後まで頑張れたのは、私は新潟県人だったからと思う。
長靴をはいて、雪道を登校すると靴の中に雪が入ります。片貝にはこういう長い厳しい冬がある。私が語学の勉強がやれたのも、この子供の頃の体験が大きな原動力になっているように思う。私はいわゆるはしっこい子供ではない。ただ、自分が興味を持っていることに向かって、たゆみなく努力をしてきた。それが結果的には自信となって更に前進できたように思う。
けれども、自分の人生は自分ひとりだけで切り開けるものではありません。父母の心遣いは勿論、自分を後押ししてくれた沢山の人々、友達があったからこそと思っています。
本を読むのが好きだったら、徹底して読みましょう。絵の好きな人は、どんどん描く。音楽、工作なんでも継続してやる事です。学校の勉強も大切ですが、同時にいろいろの人と友達になることです。よい友達は皆さんの将来に大きな力になるものと思います。今日私の話を聞いてくださった児童、生徒の皆さん、及び町民の方々、どうもありがとうございました。

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第4回
 昭和60年(1985年) 教育講演会  講師:小野 勇さん

日時: 11月1日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  小野 勇氏 第回卒業
略歴: 国立がんセンター 頭頚部長(医博)
演題: 「私の好きな若者 嫌いな若者」
  私の少年時代
久方ぶりに故郷に帰ってきて、大変懐かしいです。今でもよく町並みの夢を見ます。
中学の頃、神社の境内で暗くなるまで野球をやっていた。本田寅一郎先生が野球部長でしごかれたものです。夏は沼田川で泳ぎ、冬は二つ坂の頂上から直滑降で下りてくる、その爽快さ。始めて土が現れて来た時の喜び。忘れられないことばかりです。
長岡高校の頃
高校へ入ってから、始めて勉強らしい勉強ができたように思う。成績順にクラス編成されるので、頑張ったものです。幾何が解けないで考え込んでいるうちに夜明けとなり、あわてて来迎寺駅にかけつけたことも幾度かありました。あまり自慢話になるからこれ位にして、、、、。
今の若者は
国立がんセンターの職員は八百人おり、看護婦が毎年四、五十人ずつ入ってきます。つまりそれだけやめていくということでもあります。九州や東北から出てきた人達も、一年経つとみんな都会人になってしまう。そして遊ぶために勤めているのではないかと思うような者もいます。今の若者は自分の考えをはっきり主張するようになった。それはよいことです。しかし、自分の好きなことは熱心になるが、地味で好まない仕事は後回しにして怠けようとする。
君たちも、これから進学し、就職するわけだけれども、単に有名校とか、有名会社というだけでなく、自分のやりたい仕事をするための、本当の意味の進学であり、就職であって欲しいと思う。
私達は集団生活をしているのだから、人に迷惑をかけないよう、つまらぬことでふくれ面などしないことです。明るい人が、よい職場を作り、楽しい学校にします。私のことですが、朝は毎日七時半までに病院にゆき、その日の準備や研究にとりかかっています。
健康のこと
私達は親から受け継いだ体質があります。例えば血圧の高低とか糖尿病になり易いとか。しかし、その人の努力次第で、そういう欠点を克服して、自分の寿命を延ばすことができます。過食を慎み、塩分をとり過ぎない、酒はほどほどにする。中でもタバコはがんの大敵です。特に若い頃から喫煙すると二十年は命を縮めると言われています。
日本の将来
がんセンターには外国の医学研修生がたくさんきています。その人達は日本から見れば後進国ですが、その真面目な態度には、むしろ私達が学ぶべき点が多いように思う。今の日本は恵まれすぎていて、もし怠けるようになったら、遂には後進国にも追い越されてしまうでしょう。私は今、このことを一番憂えています。

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第3回
 昭和59年(1984年) 教育講演会  講師:佐藤祐一さん

日時: 11月17日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  佐藤祐一氏 第回卒業
略歴: (株)東芝 研究所部長(理博)
演題: 「何をやる-それで生涯がきまる 基礎研究から製品まで」
  私達が新製品を出すまでには、大変な苦労があります。どんな物を作るか、それを考え出すまでの悩みがある。いろいろヒントが浮かんできたら、これを図式化する。絵にすると、案外はっきりしてくることが多い。検討に検討を加えて、試作品ができても、これは秘密です。他社に知られず、しかもマスコミにアッピールしてもらうことを考える、これも大事な戦略です。
研究の国際化
これから競争は益々激しくなっていくでしょう。同時に外国とも相互交流をしあわねばなりません。特許の数は、日本は米国と共に世界のトップクラスで、研究の分野でも、日本の地位は高まる一方です。私はしばしば外国に行く機会が多くなり、外国の学者と交流することも盛んになってきています。
私の少年時代
私は一年生の時、長岡から片貝へ転校してきました。慣れない私を、先生はやさしく励ましてくれました。今その先生は福岡におられますが、先年学会で九州に行った時、先生に会って昔のことを語り合ってきました。他の勉強はともかく、私は子供の頃から理科が好きだったので、先生はいつも激励してくれました。私がこの方面の研究を進めるようになったのも、母校の先生のおかげと思っています。
皆さんに望むこと
何をやるか、自分は何が好きか、まずそれを決めねばなりません。しかも人がやらないようなことであれば越したことはありません。次にその手順を考えて展開していく。途中に多くの苦難も出てくるでしょう。これを明るく楽観的に受け止めて逞しく生きていくことです。
今後は日本は益々国際化していきます。外国人の物の考え方もよく理解できるようになり、英語を話せることが、益々必要になってきています。

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第2回
 昭和58年(1983年) 教育講演会  講師:永井正雄さん

日時: 11月22日(金)
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  永井正雄氏 第回卒業
略歴: 日本医大監事(医博)
演題: 「心の健康を大切に」
  戦後、日本人の寿命は飛躍的に延びた。これは栄養知識の普及と医学の進歩で、伝染病対策が効を奏した結果である。しかし、どんなに寿命が延びても、健康でなければ何もならない。同時に、その人の心が豊でなければ、真の幸福とはいえない。
私の家は貧しかったけれども、発奮して小千谷中学に入学し、更に大学まで進級できたのは、家族の人達の励ましと、恩師の暖かい指導、片貝の豊な自然に恵まれて育ったこと、それが私にとって大きな心の支えになった。
体の健康と心の持ち方、どちらも大切であるが、私はむしろ心の豊かさの方を重く見たい。巨人軍の藤田監督は、試合が接近してくると胃が痛くなると言っている。それほど、心の状態が健康にも影響する。
自分の周囲の人と深く愛和することは、健康と大きな関係がある。私は少年時代に、浅原神社の樅の木の下で、友達と楽しく遊んだ時のことを、いつも懐かしく思い出す。あの少年の頃のことが、私にとってどれだけ心の支えになっているか分からない。
前途ある皆さんは、どんな辛いことにもめげないで、頑張られる心の強さと豊かさ、健康な体力を養ってください。今後の活躍を期待しています。

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第1回
 昭和57年(1982年) 教育講演会  講師:安達生恒さん

日時: 11月8日
場所: 小千谷市立片貝中学校 体育館
講師:  安達生恒氏 第回卒業
略歴: 前島根大教授・社会農学研究所長
演題: 「自分の頭で考え、自分を伸ばす」
  二月のある夜、有志数名でコーヒーを飲みながら話し合ったことがある。片貝会は懇親会だけでも十分意味がある会だけれども、もっと新しい眼を見開いて、郷里の為に何か役立つことをしようじゃないか、という話になった。
そこで考えたのが、今回の講演会である。年に一回小、中学生に集まってもらい、経験豊な先輩の半紙を聞いてもらうことにしては、、、と、校長先生に話したところ快くご賛同をいただいた。
何しろ事の始めなので役員会にはかったり、いろいろと案を練ったりした。
講師には、二の町出身の安達生恒さん(昭5)にお願いすることとした。安達さんは二の町八島屋の御曹子で、京都帝大を卒業後、同大学の助教授や島根大学の教授をされた。農業問題の権威、全国的に親しく農民とも接触し、大きな足跡を残され、昨年退官された。目下、東京に農学研究所を開設して、講演に文筆に寧日がない。お願いしたところ、まことに胸のすくようなご返事をいただいた。
当日は曇り空ながら、暖かく凌ぎよい一日であった。
中学校の体育館には中学生全員と小学生五、六年の児童、PTAの人達や町の有志の方も出席されて、さしもの広い会場もぎっしり埋まるほどであった。演題は「二十一世紀に生きる青少年の在るべき姿」
お話の内容は、食糧とエネルギーについて、世界的視野から、その見通しを日常生活に関連付けて分かり易く、示唆に富んだ話をされた。更に、今の教育問題について、自分の子供時代の体験を話され、○X式の教育から脱却して、自分の頭で物を考え、自分のやりたいことに打ち込んで進めば、あなた達の将来は必ず成果あるものとなるでしょう、と結ばれた。人に動かされず、自主性のある生き方に徹することが、自分を切り開くと、示唆に富んだお話はみんなに大きな感動を与えた。

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